男の大厄もあと2ヶ月余り・・・

 essay3の三千円を払うべきか、払わざるべきか?の次の年の手抜きのessayです・・・汗)

前年号(2000年)のあらまし・・・

 私は今年本厄年である。昔からの言い伝えみたいなものだから、多分男女の身体的な変化(広い意味での老化に伴う体調の変化)がその辺の年齢に当たり、体調を崩しやすいという経験的な根拠があるのだろう。また精神的にも変化が出てくる年代でもあるようだ。何でも、前厄、本厄、後厄と厄が三年間もまとわりつくらしい。しかも男の数え四十二歳は大厄と言われ大が付く相当なものらしい。

 本厄だから今年は当たらず触らずおとなしく余生(おっと人生)を送ろうと思ってる。私は人間が未熟で神様を信じられないので、今のところ厄払いには行っていない。行った方がいいのかなぁ?と腹の中では思ったりするのだが、神様を信じていないのにノコノコ三千円持って厄払いに行ったら、神様が”おまえは俺を信じていないんだべや!節操もない!言ってることとやってることが矛盾してるべや!よくもノコノコと来たもんだ!罰(ばち)だ!罰を下してやる!”ってな具合になってしまい、神は神でも疫病神に取り憑かれてしまってはこれまたえらいことである。さわらぬ神に祟りなしという諺もあるので大人しくしていようと覚悟を決めた・・あらまし終り

 そして、2001年、私にとって後厄の年である。この年を乗り切れば何とか”男の大厄”からは解放される訳だ。上記の理由により三千円持って厄払いへは行っていない。というか行きづらくなってしまったのだが、今のところ平穏に生きている。

 前号では神を信ずるが故に殺し合いをしているイスラエル人とパレスチナ人のことを書いたが、今年は9月11日のアメリカ同時多発テロでおよそ3000人もの尊い命が奪われてしまったことを書かなければならない。許し難い冒涜である。しかしこの許し難い冒涜を犯しているのは神様!あなたではないのですか!カルト集団を除き、世界の歴史を重ねた宗教は”人は皆平等で、助け合いながら生きて行く”という教えが基本理念の筈である。ところが何故信ずる神が異なることで敵対視して殺し合うのか。どうして人類皆平等と言いながら皮膚の色が異なるだけで差別をするのか。イスラム原理主義とやらは女性の人権がないらしい。そういうところが矛盾しているので私は神を信ずることができない。というか神を信じているという人間の集団の勝手さを容認することができない。未熟な人間には未熟な神様しか宿らないという事なのでしょうが・・・

  神様がいるならもう少し世の中を何とかしてほしい。おっと、これ以上神を冒涜すると罰が下りそうなのでこの件は私とこの愚作を読んで下さった読者の皆様との内緒話ということにして下さい。くれぐれも内緒です!神様にでも知れたら大変です。

  ところで、この私の愚作を読まれた方は、もし私が運悪く”悪いできもの”でもできて命が危うくなってしまったとか交通事故にでも遭って死んでしまった時に、”やっぱりあいつは厄払いに行かずに、しかも神様の悪口まで言っていたから罰が当たったんだ!”と心の中で思うのでしょう。いや絶対にそう思い、皆さんは早々と三千円を持って厄払いに行くことになるのでしょう。

 あとおよそ2ヶ月で・・・ちょっと今不安がよぎった。私は6月生まれである。厄年の終わりはもしかして誕生日までなのだろうか?だったらあと8ヶ月もある。どっちにしてもどうか何事もなく過ごせますようお願いします。

かっ神様・・・。

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